インタビュー:Nam Ron

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「あぱかば通信」のマレーシア映画人インタビューシリーズ(になるといいな)!

今回は、俳優として、また監督として活躍するNam Ron(ナムロン、Namronとも表記)さんです。
Yasmin Ahmad(ヤスミン・アフマド)監督の「Gubra(グブラ)」やDain Said(デイン・サイード)監督の「Bunohan(ブノハン)」など、日本で上映された作品も含め、本当に数多くの作品に出演するNam Ronさん。一方、脚本・監督を務め(脚本は共同)昨年公開された「十字路(Crossroad:One Two Jaga)」は、マレーシア映画祭で最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、原作賞、主演男優賞、ポスター賞を受賞、アジアフォーカス・福岡国際映画祭はじめ、数々の海外の映画祭で上映され、現在はNetflixでも見ることができます。

Nam Ronさんに、「十字路」と自身についてお話を伺いました。

Q:「十字路」を撮ろうと思ったきっかけは何ですか?

A:以前から警察の汚職の問題を取り上げたいと考えていました。マレーシア国民であればほとんど全ての人がこの問題について知っていますが、これまでそれを扱った映画は作られていません。映画検閲委員会(LPF)とマレーシア国家警察(PDRM)は非常に厳しく、それを許可してこなかったからです。そのためこうした映画を作ろうという勇気を持ったプロデューサーはいませんでした。この映画のプロデューサー、Bront Palarae(ブロント・パラレ)がこの映画を製作するリスクを負ってくれ、そこからすべてが始まりました。これまで行われたことがないことを行ったのです。

Q:映画の製作にあたり最も大変だったこと、また最もうれしかったことは何ですか?何か印象的なエピソードがあれば。

A:最も大変だったのは、警察との交渉でした。マレーシアではストーリーの中に警察が絡む映画は、彼らからの許可が必要です。台本を送り、確認してもらう必要があります。最初は完全に却下されましたが、その後交渉のテーブルにつくところまでこぎつけ、いくつかの変更を行いました。何度も交渉を行い、やっと許可を得て、撮影をすることができるようになったのです。しかし登場人物の性格や物語の流れによって、警察から許可を得ることができなかったシーンを入れる必要が生じました。映画が完成した後で、そのシーンはカットするよう求められました。しかしLPHが私たちの側に立ってくれたため、ほんの小さなカットを行っただけで映画を上映することができるようになりました。「十字路」を製作するプロセス自体が最も困難なことで、製作し上映できたことが、最もうれしかったことです。
Q:映画に出演する俳優はどのように選びましたか?特にインドネシアの俳優が出演していますが、彼らのことをどのように知り、また出演をお願いすることになったのでしょうか?

A:マレーシア人の俳優はほぼ全員私が自分で選びました。すでに長い付き合いの人たちばかりです。(Sugiman(スギマン)を演じた)Ario Bayu(アリオ・バユ)はBrontの友人です。彼らはJoko Anwar(ジョコ・アヌワー)監督の作品で共演したことがあります。BrontがBayuはどうかと提案したので、クアラルンプールに来て、台本を読んでもらい、面談しました。初めて会ったときに、彼こそ私が探していた人だと思いました。Asmara Abigail(アスマラアビゲイル)も同様です。Brontは彼女のことをジャカルタで知りました。当時彼女はモデルの活動をしていて、Garin Nugroho(ガリン・ヌグロホ)監督の「Setan Jawa」に出演した経験があるだけでした。Joko AnwarやGarin Nugrohoという錚々たる監督が選んだ彼ら二人を、私が断るわけがありません。実際彼らは、本当に生き生きと役を演じてくれ、素晴らしい俳優であることを証明しました。「Neo Manila」に出演していたTimothy Castillo(ティモシー・カスティーリョ)も、Brontがマニラで映画のプロジェクトに関わった時に知り合いました。彼も素晴らしかったです。

Q:マレーシアの観客の反応はいかがでしたか?

A:この映画が映画館で上映されたとき、観客からはたくさんポジティブな感想をもらいました。権力を持った人たちの間の汚職の問題を取り上げる映画がやっと出てきたのでとても喜んでいる人が多かったと思います。これ以前にはこのような映画が映画館で上映されることはありませんでしたし、もちろんテレビでも同様でした。


Q:この作品はマレーシア以外の国で上映されています。海外での反応はいかがでしたか?

A:「十字路」が海外の映画祭で上映された時の本当に多くの反響やフィードバックをもらいました。しかし、彼らはより外国人労働者の問題に興味を持つようです。なぜなら彼らにとっても身近な問題だからです。イタリアのウディーネでは、現地でも同じ問題があり、外国人労働者の問題はとても重要だと言われました。中国の上海では、権力者の汚職の問題により関心が持たれ、議論されました。その他に、この作品はニューヨーク、ワルシャワ、台湾、イラン、インド、シンガポールで上映されています。

Q:原題は「One Two Jaga」ですが、英語のタイトル「Crossroad(十字路)」にはどのような意味が込められていますか?
(※「One Two Jaga」は、映画の冒頭部にも挿入されている、マレーシア版ケイドロ(ドロケイ/ドロジュン)の中で歌われる歌の一節です。)

A:この映画は、法律に基づかない方法でマレーシアに入国した外国人労働者が、そのことについて当局とせめぎあう経験を語る、というのがもともとのアイデアでした。「十字路」は、この世界で生きていく中で、私たちは「十字路」に差しかかった時に道を選ばなければならないことを意味しています。この映画でもそれぞれの登場人物は、自分たちの人生を続けていくために、それぞれの道を選んでいます。

Q:ご自身について少し教えてください。お芝居に関心を持ったのはいつ頃ですか?また映画などアートの世界にどのように関わるようになったのですか?

A:小さい頃、私は無口で一人でいるのが好きな子どもでした。自分の周りにいる人々を観察する方が楽しかったのです。子どもの頃から映画を見るのが好きで、そこから物語を作ったり、物語を伝える人になったりすることに関心を持つようになりました。社会のために社会についての話を共有するために、芝居というメディアを使いました。その後芝居は物語を共有するのに弱い点があると考えるようになりました。物理的(ロジスティック)な制限のため、完全ではないのです。映画の方がより移動しやすく、国内のどこでも、さらには世界で上映できると思います。そのため、最近は映画を通して物語を語る方を好んでいます。
アートの世界との関わりは1989年に出身地のPerlis(プルリス)州で劇団に参加したのが始まりです。芝居の世界で5年間活動した後、芝居の勉強をするため1994年に国立芸術アカデミー(Akademi Seni Kebangsaan/ASK、現在はASWARAと改称)に入学しました。それ以降クアラルンプールで脚本を書いたり、演出をし始めました。自分の劇団(Alternative Stage(1996~2008)、Rumah Anak Teater(2008~2013)、Ayaq Hangat Entertainment(2013~現在))も立ち上げています。1989年からこれまで数十の舞台に関わってきました。
 映画については、舞台とは違いフォーマルな教育は受けていません。最初は俳優として関わるようになり、2003年に初めて「Paloh」に出演しました。初めて監督をしたのはインディーズ映画の「Gedebe」(2003)で、その後「Gadoh」(2008)、「Jalan Pintas」(2010年)を監督しました。この3作品は映画館では上映されず、アンダーグラウンドでの上映でした。2013年に初めてのメインストリーム映画である「Psiko : Pencuri Hati」、2018年に「Crossroad : One Two Jaga」の監督を務めました。最新作「Masterpiecisan」は、今後上映される予定です。

Q:「十字路」はNetflixでも見ることができます(Netflixでのタイトルは「それぞれの道」)。視聴者に何かメッセージはありますか?

A:この映画は2018年のマレーシア映画祭で最優秀作品賞を受賞しました。また最優秀監督賞、最優秀原作賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞も受賞しています。2019年のアセアン国際映画賞(AIFA2019)でも最優秀監督賞と最優秀助演男優賞を受賞しました。現在「十字路」はNetflixで世界中で見ることができます。日本のみなさんにもぜひ見てもらいたいです。

Q:今後の活動について教えて下さい。次回作の予定はもう決まっていますか?

A:現在は、最も新しい作品となる「Matderihkolaperlih」の脚本を仕上げているところです。この作品はマレーシアの政治の世界のギャングの問題を扱っています。今回は海外のプロデューサーと組んでいます。来年の始め頃撮影に入る予定です。